裏道に行ってみた。 |
隣にゴルフ場があって、にぎやか。 |
裏山にもお花畑があった。 |
塩船観音の門の前にある「もとはし」というそば屋で喰った。バスの時間はいつもルーズなので、帰りのバスの時間には神経質になるだけ損。駅までなら「病院前」から乗れば二種類のバスが走るので1時間計4本になる。 塩船観音の2kmぐらい北には「岩蔵温泉」がある。 |
「開運そば」にて納豆入ったうどん。ウマかった | 聖跡へ向かい、いろは坂歩いていると芋虫がいた |
センターシティーinn立川の朝食 〔トーストとコーヒー セルフ〕。東京に来るときはいつもこのカプセルホテル利用してる。2800円ほど。人工温泉がなかなか泉質が本格的。 2005年あたり、立川にラーメンスクエアが出来た。今回は「我聞」で食べた。河相我聞のラーメン店。カリスマ美容師みたいなラーメン店が並ぶ。今風。でも意外とおいしい。野猿街道とかにある「天下一品」がやっぱうまいけどね。 昨日のテレビ番組の話、屋久島の左の東シナ海に戦艦大和は沈んでいたようだ。夜番では青木さやかがすごい記憶力がよかった。96年のオリコンチャートを10分で何位まで答えられるかの勝負で、50位ぐらいまで答えた。ストーリーで覚えていた。すごいおもしろい頭の中してた。 |
帰りに阿夫利(あふり)神社に寄った。宿泊したみやこ旅館(小田原)のおばさんが荷物を預かってくれたおかげで、山頂まで登る事ができた。すごいありがたかった。 小田原駅周辺は、みやこ旅館で教えてもらった「さくら」という酒屋の定食がうまかった。鯵がうまかった。愛知ではとれない味。でも熱が冷めたように、あとのほうになると初めの旨さは減ってた。活け作りもそうかな。生命とはそれほどに繊細。 |
数え駒。これは27 ケーブルカーの入り口には根之元神社がある。御祭神:磐拆神(イワサクノカミ)、根拆神(ネサクノカミ)、石筒之男神(イワツツノオノカミ)。 「古事記によると、伊邪那美命が、火之迦具土神(ヒノカグツチノカミ)の災難により、この世を去られた時、その夫、伊邪那岐命は、火之迦具土神をお切りになりました。その御佩刀(ミハカセ)の先より生まれられた、当神社に祭られる三神です。悪縁・邪念を断ち切る。開運・病魔退散のご神徳あらたかと、広く崇敬されております。」 坂元町鎮守社世話人 |
女坂の七不思議 その一 弘法の水 「弘法の加持霊水」ともいい、弘法大師が岩に杖を突いたら、その跡から清水がこんこんと湧き出たという。夏でも枯れることがなく、いつでも水の量が変わらないという。 大川観光青年専業者研究会 このエピソードは知立市にもある |
ここでそば食べた。僕がサンダルで登ってるので、「うちにちょうどいい登山靴があればよかったけど・・・」 と親切な人だった。でもサンダルが好きだからこれでよいのです。 |
つひに阿夫利神社(下社)まで来ました。 お祈り目的の人はここでゴール |
モノレールは往復850円、片道450円。それを歩いた甲斐あって銅版を奉納できた。雨降山といわれるように雨と霧が多く、修復が必要になる箇所が多いらしい。 奉納でもらえる粗品がなかなかよかった。かながわ風土記の第350号なんていうマニアックな冊子をもらえた。定価800円。あと阿夫利ふりかけ。銅版にはペンで願もかけれるし、粗品なんて意表をつかれたものだし、すごい得した気分になる。 |
ここでうまい水汲める。ほんとあまくてうまかった。荷物預かってくれた宿のおばさんへのお土産は米にした。この奥にはお神酒が置いてあった。それもうまかった。すごいサービス。 |
下社を見て帰るつもりだったけど、そば屋の愛嬌のあるおばさんも僕があたかも登るつもりであるかのごとく「2時間ぐらいあれば帰ってこれるわよ」というし、実は僕は神社本殿で時間を長々と費やすのがメインになるのだがここまで来たのならと(ry |
地面は、舗装されてませんでした。サンダルの底が浅い…というか、薄いからイタい。あのおばさんはそれを予感してらしたのかしら。霊山といふだけある。僕のREGALのサンダルのいいやつ(5年履いた)はチェンマイの犬に食われて、新しくルアンパバーンで買った。穴の空きそうなビーチサンダル。 |
途中、富士山が見える 木花之佐久夜毘売命、浅間大神の富士山 ほかの山と比較してみるところ、やっと半分ぐらいの地点か 富士山は日帰りじゃ帰ってこれないだろう これに重〜い荷物が加わる サンダルなんかではとても無理だね |
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屋久杉とは違う、見慣れた針葉樹の風景 あの島だけは、ちょっと異世界だったんだな でもいつもながらの清々しさが懐かしい |
到着したのです 縄文杉より高度はないけど ずっと昇り坂なので、しんどかった |
忘れても悪き事すな阿夫利山 尾の上の神のみそなはすらむ 標高1251.7m 携帯が一瞬繋がったので 記念カキコした わりとぐったり |
こんなところで経営してる… どうやって材料とか運んでるんだろう 無愛想で頑固そうなおじさんだからとはいえ ヘリが止まれる場所なんてなかったし 左の画像のロケットで飛ばすわけでもないだろうし。 今は山も携帯がつながるので 何か新しい装置で送信してるのかな・・・ |
龍頭観音は雲の中に居る龍に乗る 大山不動で龍がまた見たいと思っていたから、見れたのか よくよく考えてみると不思議 |
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また降りるわけです |
下社の門 | 帰りは颯爽と飛んでこれました |
なにやら道場があった | 「とうふ料理・そば各種・ししなべ・しかなべ お食事は 滝の店で」 現地の旅館の豆腐料理 小さくて清楚な滝が流れてました 次来たら、昼時に男坂を通ろう |
水のきれいな場所では豆腐がうまい。八王子のとうふやうかいのざるどうふなんて、もうそれはそれはまったりと濃厚で、やみつきになる。日本庭に売店があって買うことが出来るが、持ち帰ってもすぐ味が薄くなった。繊細な味わいほど消えやすい。想い出もよく追懐しておかないとなぁ。 |
華の湯。ここはいろんな風呂があるのだけど、薬草風呂がなくなっていた。去年通った時は工事中だった。薬草風呂がすごいなつかしかった。初めての一人旅で入ったのがあの風呂だから、印象が深かった。あの濃いどろどろした感じ、ちょうど千と千尋の時期だった。縁だったのかな。湯ばあばの経営する油屋の風呂。今は先進の機械による活性水素風呂になっていた。衛生面がよいらしい。維持できなくなってしまったんかな。神社仏閣における霊性の維持と同じく大変なんだ。以前は露天だったけど屋根がついた。笹のサウナみたいなのが増設されていた。それは機械的にゼロ磁場エネルギーみたいなものを生み出しているようだ。都会化は進む。かえるも減ってた。ここで「出る時に温泉を水で流さない方が効き目がいいよ」とかえるに教えてもらったのだったのに。よく覚えてる。 |
次の日、三嶋大社に寄る。MOSが食いたくなって今回はMOS食った。次はあのスパゲティの店に入ろう。なんか惹かれる。 |
三嶋の街はふつうの街だけど、三嶋の空気はすごい綺麗だった。三嶋大社の神気がとてもよくゆきわたってる。 |
〔弁天島と天女〕 昔、弁天島のこの辺りは砂洲が新居の橋本辺りまで続き、白砂青松「天の橋立」のような風景が広がっていました。そんな弁天島の美しさに誘われてか、ある日天女が舞い降りました。村人は大変喜び、社を建てるからここに留まってほしいとお願いしました。ところがどういうわけか、天女は駿河の三保の松原へ立ち去って行きました。 それから長い年月がたち、この辺り一帯は大きな災害にみまわれ、洲崎の一部であった弁天は湖にとり残されて島となりました。その後、舞阪と新居の間は渡船で行き来するようになりましたが、江戸時代の宝永六年(1709年)今切渡海安全のため、この島に辨天神社が建てられました。人々は天女伝説のこともあり、この神社を大切にお守りしてきました。御祭神は「市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)」といい、海上・交通・家内安全、商売繁盛など諸願成就の神として多くの人々に信仰されています。 辨天神社の立て札に書いてあったもの。このエピソード、どこか面白いところがあるのだけど。わかるかな。それはこの神社に市杵島姫命は降りているとは、断言なされていないところ。「ところがどういうわけか、天女は駿河の三保の松原へ立ち去って行きました。」 ところがどういうわけかなのなのです。松原のほうに行ってしまわれたので、こちら浜松にもまた来てくださいと社を建てられている。なんという守門者的な自由さ加減。しかも写真の赤い鳥居は「弁天島シンボルタワー」というらしい。タワーゎないでしょうタワーゎ。。でも辨天神社は小さな社だけど、感応するものはあったよ。こんな面白い街にこれて感謝。 関係ないけど神様は綺麗な想いや楽しいことに反応してくる。修学旅行の子どもが楽しかったといって帰って来ると親は喜ぶように、神様も生きていて楽しいことを喜ぶ。愚痴はよくない。 |