黄色い感覚だった。 それは体調によるところではないのか・・・ |
たしかに岩津天神様では3回目ぐらいのとき、フルーティーな味わいがした。ずっと来ようと思った。しかし4回目のときは普通の神社と同質の清らかさだった。霊体の体調による所かもしれない。あるいは僕がいいふらしたせい?でもラーメン西海はスープまで飲めるほど繊細なうえ魚だしの濃厚さを醸す味で、105回ぐらい食べたけど、日によって味はよく変わった。本気でおいしいときを知っているといささか物足りない日もあった。それは味覚ではなく、調理による変化である。タバコを吸ってない時期はより濃厚に旨みを感じられた。また高尾店よりいつも多摩センター店のほうがうまかったので(サンプルサイズは足りてないけど)、調理の仕方で繊細にかわるスープだと思う。 黄色いというのは霊覚による色彩感覚であるので、黄色いは説明できないけど、先入観とか刷り込みである可能性を除けば自分の色彩感覚かこの時のお地蔵さんの個性か自分との相性である。思い込みでないことは、目隠しで実験してみればわかる。目隠しで実験する場合、守護に携わってくれている場合は家でも感応してしまうけど、お守りより本堂の方がパワーがすごいからわかる。ヘッドホンで耳栓、アイマスクで目隠し、皮膚感も遮る防護服、鼻栓もする、そしてマンションの一室か、伽藍か、拝殿の中かに連れて行ってもらい、それがどこか当てる。付き添う人が邪心でよほど妨害する人でなければ、僕は当てられると思う。もっと修行した人なら仏様や神様の種類まで当てられると思う。名前まで当てられる人もいるかもしれない。でもそこまで神仏とかかわれる人は自分が嘘つき呼ばわりされても神にたいして実験などという無礼なことはしないだろう。向こうは静かにしておいてほしいし客観的な根拠ではなく自分から入って来た人しか受け入れはしない。悟った人はなによばわりされてもよい。それをアナーガーミンという。[ウズベキスタンの彫刻…なに呼ばわりされても正定するお釈迦さま] 人は目に見えるものしか見えない。広告が出ていればなんだやっぱり金か。でも広告を出さない所は目に見えないから知らないでいるのである。以上、怒濤のうんちくでした。 |
維摩経 大乗仏教経典の一つで、サンスクリット本、チベット語訳と3種の漢訳(支謙訳、鳩摩羅什訳、玄奘訳)が現存する。一般に用いられるのは鳩摩羅什訳『維摩詰所説経 』(ゆいまきつしょせつきょう)である。 内容は明らかに般若経典群の流れを引いているが、大きく違う点は、一般に般若経典は呪術的な面が強く経自体を受持し読誦することの功徳を説くが、維摩経ではそういう面が希薄である。 中インド、バイシャーリーの長者ヴィマラキールティ(維摩詰、維摩、浄名)が病気になったので、釈迦が菩薩や弟子達に見舞いを命じるが、以前に維摩にやりこめられているため、誰も理由を述べて行こうとしない。そこで、文殊菩薩が見舞いに行き、維摩と対等に問答を行い、最後に維摩は究極の境地を沈黙によって示した。全編戯曲的な構成の中に旧来の仏教の固定性を批判し、在家者の立場から大乗の空の思想を高揚した初期大乗仏典の傑作である。 中国、日本で広く親しまれ、聖徳太子の三経義疏の1つ『維摩経義疏 』を始め、注釈も多い。Wiki |
五重塔の塑像群に描かれているのはお釈迦さまの人生で、そのうちの東面の維摩居士と文殊菩薩の問答のところで聞いていた。文殊菩薩と維摩詰の問答は、弟子達はちゃっかりと聞いてた。周りに仏さんたちが描かれているのがそれらしい。やっぱり、読むではなしに、教えてもらうのがいいね。 |
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弥勒菩薩半跏思惟像 |
東洋美術における「考える像」で有名な、思惟半跏のこの像は、飛鳥時代の彫刻の最高傑作であると同時に、わが国美術史上、あるいは東洋上代芸術を語る場合にも欠かすことの出来ない地位を占める仏像であります。また国際美術史学者間では、この像のお顔の優しさを評して、数少い「古典的微笑」(アルカイックスマイル)の典型として評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作モナリザと並んで「世界の三つの微笑像」とも呼ばれています。 |
独りの旅行はさびしくない?と言われたけど落ち着くと答えた。すごいきれいな女の子が半年前にちょうどそこ座って、その子はほんとうにきれいな子で研修で好きな場所に行くということになって一人できていた。けど待ち合わせの時間があるからと出掛ける時雨がふった。傘を貸したようだ。遠いしあげるつもりだったけど、返って来たよ…といういい話かと思ったけど駅に捨てられていたらしい。お嬢さんだし荷物になるのが嫌なのかな、というのはあるけど物を大事にしない人はだめねと言っていた。寂しかったようだ。 法隆寺の周りはよく歩くようだ。一日1時間ぐらい歩くらしい。市民のハイキングでは三輪の山の方からかえってきたらしい。聖徳太子はすごい人だと言っていた。宗教的な事柄に関してはまったく関与しないというのがとてもいい。聖説寺のほうには行かなかった。まぁとくになにもない感じ。「仏はあるみたいよ」といっていた。いい形の信仰だと思う。地元の人は拝まなくても、いい街だし、護られているなぁと思った。法隆寺は神戸の地震でも被害がほとんどないし、すごく考えられた造りをしているようだ。聖徳太子がどのように賢いのかはわからなくても、とにかくすごい賢い人だということは、地元の人はよくわかっていた。 いつもは京都から先に桜が満開になるのに、今年は東京がもう桜が散っていて奈良は今桜が満開とのこと。東京はその満開だった二週間前にいった。三嶋大社、浅間大社、岩津天神、ちょうど桜が満開になるところへ到達している。なにか、花鳥風月を好むと花鳥風月に迎えられるかのように偶然にも行動するなぁと思った。 |