前回東京方面の旅行から家に帰ってから
すごい神気に満ちていたのはそれだけ心が神に向かっていたから。
やがてネットをしているうちに負気に落ちていったけど。
今回は、帰ってからはそんなには神気に満ちていなかった
円珍さんのレスをたまたま見て、反省した
自分が一途にやらねば連鎖しない
書くことは、布教する態度がそのまま連鎖するだけだ。
無宗教者が宗教排他の無神論を布教するなど。
人の思想は都合がよすぎて、誤った見解に陥ることも稀じゃない。
どれほど哲学的には難解そうでも、知識的には深そうでも、
多分MENSAから見るとハイハイって感じなことしか言ってないだろう。
でもそのパラダイムを矯正するなんてことも必要ないのだ。
[発売延期]
あまり「延期」を頻発すると企業の信頼を失うものだけど
これはデジタル業界では”日常的”なことで、「織り込み済み」のことも多い。
デジタル業界は目まぐるしいからかもしれないけれど
デジタル的に人の思考が形状数式しか捉えないようになってるから
延期に鈍感になっているのかもしれない。薄くしか信じないというか。
でもXPの後継Vistaが発売延期になったのは各業界に多大な影響を及ぼしている。
人はVistaという生き物を、物理的法則としての神を信じるかのように求めている。
よそ事が浮かんでもそれすらもろもろ崇敬に向かうようにした。
するとすごい神気に満ちた。
家は浄土真宗なので仏壇には正信偈等を唱えた。
つぎに地元の薬師寺のお経を唱え続けた。
それで家でこんなにもエネルゲイアに満ちたことはなかった。
本堂でのゴールド調ではなくシルバーな感じだった。
仏壇の前にはお薬師さんのお姿が置いてあるのだけど
それが燃えてしまわないか、心配なほどだった。
どこか旅行に行った時はせっかくだという気分があり、
心が伴うからエネルギーがよく来る。
家ではやっつけ仕事だった。
To Doに思惑が集中していて神棚仏壇のほうにまっすぐと向かわない。
低振動※で不協和な気を負ったら遍照寺にいけばいいやというスタンス。
でも一時的には軽くなるけど、すぐまた元どおりだった
※ E=mc^2(エネルギー=質量×光速の2乗)
これをアインシュタインは超ひも理論(ひもの振動)で説明した
電気エネルギーは電子の振動とか、質量エネルギーも振動とか、
振動をあらゆるエネルギーの根源だと見なす人もいる。
振動エネルギーはドーパミンやセロトニンを賦活するらしい。
でもやっつけ仕事ではなぜ感応しないのか
お経や祝詞で振動を発してるはずなのに…(テンションはたしかにあがる)
エネルギー振動なのだと捉えていたら感応が弱くなった。
解釈が不全か、邪魔になってるんだろう(失礼にあたる)(そもそも生命)
ずっと、どうしたら霊性を維持できるんだろうと思ってた
簡単なことだった
自分自身が神仏に一心に向かうことだ
(でも)(でも)(あれも)(これも)(そういえば)
そんな(沸いてきたもの)ともども神仏に向かわせる
するとその態度が連鎖して憑いてるものともども
光明の段階に向かわせることができる
一石二鳥
「誠の心が通ずれば、必ず願を送るぞや」
(薬師寺の本願和讚)
そういうことでいいやと悟了
始めの数分はよそ事まみれで、通常やたらと億劫なものだけど
乗り越えるうちにできるようになる
また神仏のために祝詞やお経を唱えるんではなく
自分自身が落ち着くためにも唱えるのもコツか
精妙体の色と波動を落ち着けるように
静寂に向かうように
ゆっくりと丁寧に唱えると同調しやすくなる
意味を勉強しながら唱えるのもまたいい
神気に満ちる
さて机上の空論は棄てて東南アジアにいこう
不慣れな環境に身を置く、欲望に勝つ
「嘘を言わない」「秘密を守る」「謙虚な姿勢」
これは簡単なことだ
「心にも嘘を言わない」「心にも秘密を守る」「心にも高談をしない」
これを目ざそう
人は聖人寄りの存在に遭うと己が天邪鬼になる
天邪鬼になる自分を嫌い、聖哲の言葉を誣いて、行者には托鉢を強いる
ではその主張すらすべて呑んでしまおうか
すべて捨ててしまおうか