WAT MUNE NA |
踊ってる |
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Sisavangvong Bridge この日はその向こうを探索することにした |
なにげに怖い橋 | |
メコン川の枝 |
プーシー山から見えたあのWATへ向かう。あそこへ行かねば心残りになってしまう。 |
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まずは平和ボケしておらずにこの橋を渡らねば… |
ちょっとスリリング味わった |
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街中とぜんぜん違う |
橋で僕の後ろにいた子らは学校へ行くようだ |
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街中ともっとぜんぜん違う |
現代風の家から村らしい建物まで。 |
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もうなんという世界に来てしまったのか。 |
Wat Phan Luang |
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うわぁこんなに白飛びしていたのか。実際まぶしい世界なので、こんなもんだけどね。 |
飛行機飛んでいます。ルアンパバーン空港までの航空券はネットで探せば安いらしい。それより真上をものすごい音で飛んでいった時にはビビッた。あんな接近してみたことなかったから。飛行機の方角がこちらだとほんと真上飛んでいく。 |
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Wat Pakha |
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真ん中に遺跡がある。その中には伝説のような木が生えている。魔法の木漏れ日の中にいた。 |
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奥には紅いブッダがいる |
道 |
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Wat Phone Seat サンガの方とあいさつした。場所にもよるけど結構ふつうにあいさつしてくる。お寺なんて覩るひとはあまりいないし世界遺産なので一眼ぶら下げていると節操のない気がしてたけど、ミューなら気兼ねない。本堂の中では昼寝中の子が多かった。 |
Wat Pakhaに戻る。 |
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意味不明な建造物が多い。 |
紅いブッダの台。上と下が離れている。解釈するに、下は下界、上は天界、って感じかな。解脱するに、囚われのない空に至らなければならない。 |
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Wat Phone Xang |
大通りに戻ってきた | |
WAT TAOHAI この街なんか変なのが多い。 |
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コメントの仕方がわからない | 学校がある | |
プーシー山から見えたあのWATへ向かうには、こんな野道を抜けねばならないようだった。もう地図外。 |
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サンガたちが川で泳いでる。遊んでる声がいい。 | この方角から至る道は道になっておらず、近いようで意外と遠く、半ば命がけの強攻策だった。あとで知ったけど橋を渡らないで、Wat
Pa Nha Thup方面に行けば楽だった。 |
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とうとう見えてまいりました。と悠長にいっても現実のこのときは結構厳しい状況で歩いてた。REGALのサンダルはWat Sai Moon Myanmarで犬にくわれたから履いていたのはここで買った底の薄いビーチサンダルだしね。蛇はいるし。 |
やっと普通に歩ける道に出た。 | |
だいぶ近づいてまいりました。でもここからがむちゃくちゃ遠かったな。暑いしでかい風に聳えてるから近そうに見えるという錯覚。 |
道を間違える。近道しようとするとだめみたい。てか山の上にいるね。標高何mですかあなたは |
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右に迂回するのですね、ここからまた帰らないといけないわけですよね、こちらは水がなくなってまいりましたよ、熱射が強烈で頭から水を浴びなければならないのですが。 | WATの周りを半周しました。さっきから近づけません。 |
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ということで熱射病も怖いからここ入ってLao Food食べる。やっと昼食です。あとは道を登るのみでいいはず。 |
とうがらしはどこにでもついてる。ということは食わないとだめということのような気がするので、食うけどすごいHOT。しゃっくり止まらない。 | |
イカソースらしいです。やたらとイカくさいです。 | なんていうメニューかは忘れてしまいましたが、もう思い出したくない気分です。でもこのまずさが何気に思い出になってる。 | |
食べても大丈夫だったのか。立ち上がれなくなる下痢になる恐怖と戦う。火もまた涼しと。 |
道を登る。おなかいっぱいにしすぎた。悠長に休憩してからなんて甘い考えはいけなかったらしい。移動中は小食を心がける。 |
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お出迎え | WATPA PHOLPHAO | |
とうとう着いた。この中に入るわけです。 | YOUR DONATION'S WILL HELP PRATHATKHONG SANTI CHEIDY WITH MANTENANCE AND
RESTORATION EXPENCE. もし宝くじの当たった人がいたら買いたいものを買い借金を返して余るのなら、神社や仏閣に貢ぐべき。気持ちあるぶんだけ |
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ここのブッダは若乃花に似ていた。 |
中で寝て心地よく話している人 | |
ベランダ | 地獄 | |
上の段は天界・ブッダの生涯の絵画 意味不明の絵があったけど、意味わからない。й |
プーシー山のWat Choum Si (ゴールドの塔)が見える。ほんと近いようで遠い。 |
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階段があったので登る。2F この階には高僧の方の祭壇がある |
3F 壁画はさらに明るい絵柄になっていきます。ここが最上部屋かと思いきや、そこに更に階段があります。ムービー |
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むちゃ狭いところです。絵柄はシンプル。ここで心経を唱えます。今ルアンパバーンの天上にいるという気分です。これだけ狭いとそのお経が反響して僕はとうとう此霊異な音を三度ききました。嘘です。 |
霊的エネルギーはあまり今日はこなかったけどすごい普通の気分になれた。結構長くいた。この音響にハマって1時間ぐらいいた気がする。蒸し暑くて汗だくになってしまった。これから帰らないといけないのに。途中、何人か現地の人々が巡礼に来て陽気な雰囲気でした。 |
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スポーツドリンクは甘い。夏バテしないためには水のほうがいい。汗腺に負担がかからないので。 |
こちらの子らは10歳から17歳ぐらいまでが一緒になって道にたむろし、遊んでいる。日本では見かけない。日本ではなにやらネット上で38歳ぐらいの膨れたやつが23歳ぐらいのクリアなイズムに対して「論理的根拠」を執拗にふっかけたりしているのを見るし。 |
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ルアンパバーンの三日間、食事は一緒に食べた中華がいちばんうまかった。ラオスはチェンマイに比べるとあたりはずれがある。七時からパッケージツアーに行ってたおばさんがそこで知り合った人と食べた。すごいしっかりした人でずっとしゃべってくれた。その人は中国はほとんど全部まわっていて、いろいろ教えてもらった。中国は15泊16日までならVISAいらない。でも敦煌行くなら1ヶ月は必要。お金のある人ならツアーでいけるけど二週間ならハプニングだらけで社会国家でわけわからんこと多いので無理だと思う。ラオスも共産国になったらしい。上海とかの海沿いの都会はビルだらけでどれも特別に中国来たって感じはしないようだ。 なんか迷いが減っている。いい人といて楽しかったから決断力が上がった。やったもん勝ちだと言ってくれた。バックパッカーして会う人はきまってやったもん勝ちだという。企業づとめの人もフリーターの人もみな。あの人は大学卒業後すぐ働いていながら既にあんなに世界に詳しくてすごい。おばさんのバックサッカーはやはり珍しいらしい。その二人の会話は録音したいぐらいに楽しかった。世界が広い。やっぱ旅しないといけないなぁ。 |
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プーシー山のWAT Choum Si。 | 光の色が分断されてる。 |
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一緒に撮ってる。おばさん朝早いから起こしてもらった。二人のCanonのIXYとPanasonicのLUMIXの画質でも見てみたい。でもたぶん淡くはないかな。 |
μ-30 digital は昼間はなんかアティチュード弱いしあんまりいい色を出すことはないけど、この夜明けはかなりそのままを残して撮れてる。ルアンパバーンの夜明けはピンク色だった。夕暮れとあさぼらけ、それぞれで違うのはなぜだろうなぁ。朝夕における温度と湿度の干渉度の差が宇宙線やガンマ線や諸々の不可視光線の変遷曲線に影響与えて違って見えるのかなぁ。気分的にもぜんぜん違う。あのバックパッカーのおばさんは朝早く起きて街を廻りたいね、と言っていた。環境と心身のそれぞれのサーカディアンリズムがシンクロしたときに、美しい景色が映えるな。今日は特別に綺麗だったらしくて僕は得しちゃった。 |
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日の出です。 | このあとCafeで朝食した。おばさんは奈良の人で、ちょうど山之辺の道を行っていたところ、この地まできて日本のローカルな会話に花が咲いた。お美輪さんの周辺らしい。大神神社(おおみわじんじゃ)は地元の人にはおみわさんと呼ばれているのか。桧原神社はあの素朴さがいいとのこと。このものすごいローカルな話題で落ち着いた。 |
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BANPAKHAM | これでルアンパバーンとお別れ。僕は小バスでヴィエンジャンまで移動。おばさん二人はあと1日いて、飛行機でヴィエンジャンに向かう。むこうで会えたらいいな。 |