2012年1月2日-3日 お寺の手伝い



このおみくじはお客様が言ってる数字を聞き間違えて渡してしまったものだけど、その間違えた数字はこの日一番出てた凶。
46番:凶 39番:凶 42番:吉 の順に多かった


今年も参詣客をなるべく長くは並ばせまいとおみくじコーナーのお手伝いに参加した。僕が一人6時間入ればどれだけの時間が浮くだろう。奉仕に来るのはおじいさんおばあさんが多いから渋滞する。おじいさんおばあさんが4人だと二列体制でしかおみくじコーナーを回転させれないけど若い人が一人入れば三列にできる。2/3の待ち時間にすることができる。おみくじを引く2400人の待ち時間を2/3にすればトータルで160時間の待ち時間を短縮したことになる(一人おみくじ引くのに25-30秒。平均30人待ちのところを20人待ちにするので2400人×10人×25秒で60万秒)。
といってもカップルや子連れの人にとってはさほど待つことは苦痛ではない。一人で来ている人なんて全体の一割もいなかった。独り身には待つことは退屈でつらい。自分は常に待つことを避ける。自然と億劫になりわざわざこんなところまで来なくなるのだと思う。ということで並ぶ事が苦痛に感じている人は二割ぐらいだと思う。つらい待ち時間に限定すると30時間ぐらいの貢献かな。そんな事を計算して馬鹿みたいだけど満足。神社仏閣に初参りに行くんだとしたら、独り身の人は奉仕で行くのが一番良いと思う。

正月の参列者はPM3時頃から減ってくる。4時には昼過ぎの最長時の半分になって5時には並ばなくなる。そのかわり3時ごろからは徐々に寒くなる。並ぶ時間は短くても寒い。また、人が多いからといって正月をズラして参拝するのも味気ない。出店もない。正月に向けて用意しているから正月の神社仏閣は霊気が強いかもしれない。
しかし正月の御御籤は当たってるかどうか…。まぁ多くは当たってると思うけど外れてるような気もする。僕が奉仕したお寺はおみくじの筒をガラガラやって下から棒が出てくるタイプだけど、その細い棒に書かれてる数字が見にくいものがある。奉仕の方がおじいさんおばあさんなので番号を間違えている場合もある。「2」と「5」を間違えたり、11番を漢字で二番と読んだり。17番を41番と読んだり(手書きだとそう読めるものがある)。また、書かれた数字が修正液使って上書きされてたりすると僕でも読みづらい。御神籤コーナーは賑わってるので33番と言ってるのか43番と言ってるのか解りづらかったりもする。そのとき間違いに気づけたものは良いけど気づけなかったものはいくつあるだろう。僕も一回間違えてしまった。お客様が「61番」と呼んでいたので16番を出してしまった(50番までなので)。19番を出さないといけなかった。また、僕の影響を受けて末吉とかになっている人もいたので、神職や巫女さんのいる受付で差し障りなく引くおみくじより的中率は低そう。

上の画像の折り目のある二枚は間違えた数字のおみくじだとクレームにこられたもの。しかも両方とも凶のみくじ。これは怒るな。しかし暗示的だった。今年は1月2日と3日にお神籤コーナーの奉仕に入ったけどこの39番と46番の凶は出まくった。確率的には3/50しか凶は出ないはずなのに46番はお神籤の筒に4本ぐらい余計に入っていないかという印象だった。それと凶ではないけど上から三枚目の「42」もやたらと出た(『しに』と読むのでお客様がよく不吉がる数字。でも「吉」で安心する。ちなみにこのお神籤の銘柄では13番は「大吉」になってる)。

年末に父親と些細な事で喧嘩して『なら産むな』と言ったから。家の神棚も仏壇も一週間経ってもまだ痛々しい霊気を放っている。(母親には2009年暮れから2010年頃に時折言っていた。恋愛が深まるほどに苦しみもがく苦しみをあたる場所がないから。せっかくお寺に奉仕して霊性は清まっても社会の霊性に負けて自暴自棄になっていた。1月1日に親友のO君から電話があって彼も些細なことで親と喧嘩したらしい。僕のように神経質な性格ではないので僕ほど言葉はおかしくないだろうが父親には手をあげてしまったらしい。「この歳になって」と言ってた。O君も昨年4月に彼女と別れて最近まで引きずっていたらしい。あのしっかり者の彼でもそんな風なんだな。と安心すると同時にそのシンクロニシティは僕に原因がありそうで責任を感じた。しかし自分はまだマシかもしれない。親に『死ね』とか『産むな』とか言う事にたいして非難する人間のほうが卑劣で異常人格なケースがある。むしろその確率のほうが高い。そのような人物はロールシャッハテストでも受けてみたら良いのでは?。そういう人が多い日本だけど誰も無縁仏とか供養しない社会だからそういうものをこちらが背負うことになる。世の中が良くなれば良いと思い身代わりになっているのに勘違いして見下ろして説教をする輩がいる。徳もないのに偉そうに。自分自身には罪科がないのか?もっと内省して欲しい。「優しい虐待」と同じくそういうやつは目に見えないうちに社会を腐敗させている。うちの三毛猫も僕が愛情余って相手が苦しむほど抱きしめると他の人の腕をひっかく。どこかに当たる。ストレス社会と言われて久しいが無神論の屹度馬鹿や宗教信者の変な輩が勘違いに威張り通すから世の中がおかしくなってる事を諷意してる)(東北の震災の募金の本を読んで、O君は利他に目覚めたらしい。「やっとそういう事に気づいた」と言っていた。利他的遺伝子を非科学的だとか言う前に募金ぐらいしたらどうかと思う。あ、非科学的だから自分はやる必要がないのか。それもまたトートロジーだな。)
「運の良し悪しほど「恣意的」なものはない。大吉が何度続こうがただの乱数の一部。」と言い張ってる人が居たけど、これまた恣意的ですね。そりゃ、乱数って言えば乱数である。すべては乱数で~す。
音樂も、たかが音符って言っちゃえばたかが音符である。たかが音符で~す。たかが粗密波で~す。
前後の連なりや因縁を無視すればそうなるあたりまえ。恣意的に無視できる。
関係ないけど2008年の日記。
39 名前:ナナシンクロニシティ 2008/01/05 00:56
正月は1日&2日におみくじコーナーで2000人接客した。
今年は1日より2日のほうが普通の人が多かった事に気づいた。2日に来る人は1日には親戚と家で集まっていたのだろうか。1日に訪れた人の場合は全体的に個性的で特徴的だった。中には霊障もちのグループがいた。真面目なものを嘲笑するような瘴気。あのグループは普通ではなかった。なにか変なものやものの考えに染まっているので、彼らに見えていない自然に呪われるまにまに殺気めいてる。来る分だけマシだが参詣するぐらいではなかなか治まらないだろうな。慈しみがほしい。2日にはそういうの一人もいなかった。中には素性はよさそうで日頃の心がけも生き方も悪くなさそうだけど家とか方位が穢れているのか理由は知らないが背景が暗いオーラになってしまっている運の悪い方もいたけど、ヤクザ系とかチーマーとかそういうガラの人間でもこの人方の霊性はなぜかふつうだな…という場合はおみくじを引いても人間的で朗らかな反応をする。おみくじで素直な反応をして楽しむ人には霊障などなかった。
少しは傾向がつかめた。
八卦には面白い法則性があった。僕の列には2つのお神籤の筒が用意されていたけれど、左右の人が同時にジャラジャラやると、同じ数字になる率が高かった。するとほかのジャラジャラからも同じ番号が呼ばれたり。不思議だった。親子とかアベックでもやはり、番号重なる率が高かった。44番とか、31番と13番とか、24番と42番とか。
数字の傾向としては、1番の大吉は子どもとか若い子とか子連れの方に多かった。「また子どもに1番か」といった感じに多かった。そのほか、目を閉じて静かに念じて引いたらLOSSER GOOD FORTUNEとか微妙なものだったり、犬にひかせるとNOT SO GOOD FORTUNEだったり。(渡す時裏面しか見ていないので英語だけど「末吉」とか「小吉」とか)。ちなみに8番は八百万の神としてか大吉で、13番も大吉にされていた。
佛説摩訶般若波羅蜜多心經
觀自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即是空空即是色受想行識亦復如是舎利子是諸法空相不生不滅不垢不淨不増不減是故空中無色無受想行識無眼耳鼻舌身意無色聲香味觸法無眼界乃至無意識界無無明亦無無明尽乃至無老死亦無老死盡無苦集滅道無智亦無得以無所得故菩提薩垂依般若波羅蜜多故心無圭礙無罫礙故無有恐怖遠離一切顛倒夢想究竟涅槃三世諸佛依般若波羅蜜多故得阿耨多羅三藐三菩提故知般若波羅蜜多是大神咒是大明咒是無上咒是無等等咒能除一切苦真実不虚故説般若波羅蜜多咒即説咒曰羯諦羯諦波羅羯諦波羅僧羯諦菩提薩婆訶般若心經
般若心經 文字変換辞書…IME用 ATOK用