ここではないけど山崎パンの工場はしんどかった。流れ作業は地獄だ。真夏の引っ越しバイトのほうが楽だ。でもパンがあんな地獄から生まれていたなんて初めて知った。ぜんぶ機械が作っていると思ってた。それは自分がもしあれが人が作っているとしたらショックだからだった。 蒸し暑い作業着を着て身体は顔まで密閉され、ロールで毛を取り消毒し中に入り、ラインでパンを永遠に丸め続けた。永遠にハムを乗せ続けた。大変だった。ずっと緊張しっぱなしなので時間の経過が遅い。時計もない。考える暇もない単調な時間だった。休憩後はソーセージ乗せた。割れ目にはめるので交尾のようだ。失敗したやつをもらえた。残飯がもったいないとい思いがかなった。できたてほやほやのパンはおいしい。 その日は3時間しか眠れず、体中が痛かった。でも解放後の夕方はきれいだった。週休一日でも休息は毎日あるのだった。苦しい労働をすると、朝早く起きることや勉強ぐらいの苦しみは苦しみではないと思える。その苦しみは持続しないから。解放はすぐそこにある。苛酷な労働を強いられている人々の心がわかった。あんな一生だったら逃げ出すな。苦労人の加藤のことがよくわかってきた。加藤は僕の境地を理解しはじめているのに加藤を理解しないのはだめだ。金額を計算してしまうのをやめられなかった。苦しんでいる最中はなんのための苦しみかをずっと考えていた。自我を消し去れば楽になるというものでもない。立ちっぱなしの労働だから。しかしおしゃか様は終わりのない苦行をしていた。あらゆる苦行を。苦行は後から思えば有意義だけど、そのときは苦しみから解放されたくて時計ばかりをみる。これは苦行だ、と思ってやろうと努めた。でも時計ばかりをみる。忘れていれば夢中になるものの、山崎パンの流れ作業では無理だった。人間にあわない。匂いも一定でどこの場所でもあの匂いだった。パン工場なら肉体労働のほうがいい。食品のライン以外ならなんでもいいってぐらいだ。もうパンについてはわかった。パンについては満足だから二度とやらない。その一方で、もう一度シキシマパンとか日清あたりに挑戦してやろうという限界に挑みたい自分もいるのだが、でも一生やることになったら、死ぬことをまじめに考えるだろう。 |