箒は小学校以来になるのかもしれない。いろいろと、あの頃の感覚を思ひ出した。 あのころは掃除が楽しかった。教室の掃除とか、一日でこんなに出るのか、と思っていた。一人でちまちまと隙間からねずみいろの粉を取ったりしてるのが好きだった。でも外の箒の掃除は、なんか意味なさげだし落ち葉一枚がなかなか移動しないし、鬱陶しかった。今となっては、やはりそれは鬱陶しいけど、全体的に綺麗になっていることがわかるので、微細部まで極めたい気分は起こらないから、よかった。不完全燃焼にはならなかった。 |
露出補正−0.7 | 露出補正±0 |
行きに坂本龍一のラストエンペラー聴いたからか、門のところで護衛している者の感傷があった。僕も、門に登って、監視していたい。地平線を、見渡して、いたい。 人間的意識においては時給とか計算したり攻めて来なければ意味のなさを感じるものだけど、霊的存在としてはすばらしいと思う。護衛してますこと、それ自体が、なんか荘厳だ。永遠に等しいほど長いことそうしていつも人間のような脳雑念を生じず、まさに現実そのものに溶け込み永遠に等しいほどながいなんて思わないとしたら、崇高だなあ。 |
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