AUDIO FESTA 2007 Canterbury15/HE



LUXMAN & ESOTERIC





C-1000f B-1000f drive Canterbury15/HE
PLAYER : ESOTERIC X-01Limited
MASTER CLOCK : ESOTERIC G-0s
CONTROL AMP : LUXMAN C-1000f
POWER AMP : LUXMAN B-1000f ×2
SPEAKER : TANNOY Canterbury/SE



LUXMANのホワイトになったあとの音は、以前に比べてシルクタッチ
でもふんわかとした鳴り方は変わらず、
波動拳とか平面波という印象が浮かぶDENONやTEACは現像した写真的で、
Accuphaseやmarantzなどは無からクリアルに浮かぶ楽器音なのだけど、
LUXMANは音像自体が奥行きをもっている
音は粗密な波動、ゆえに瞬間的には波動拳状、
あるいは実はひらぺったい雨粒の形なのだけど、
特にこの弩級モノラルのB-1000fは無限層の界面にしきいを感じない
連続した時間の中にあるのです


cは羊水の中の音で、鼓動する大地の音、原始的なcceと思われる。その音を出すには位相の整った、できれば音速の早いことと、なおかつ強力なドライブのうちにもハルモニアが保たれていることが条件。音は時間軸に沿って生滅してるからホールでも1秒〜2秒という響きの長さでほぼ消滅しきる。振動の周期は、1000Hzなら1/1000秒の幅で、音は空気の圧力で秒に340m進むから、1000Hzの波長は34cm。1/1000秒に34cmという疎密波が、0.5秒のうちに500回ぐらい振動して、一瞬で消えてる。その手に取れない波を電磁気力で出すのだから、簡単そうでも繊細で実に難しい仕事で、山岳が崩れれば騒音になる。
レコード演奏家のある方は胎内で羊水に浸かっている感覚をイメージされているようで、ゴールドムンドのエイドスとミメーシス、WADIA、ホヴランド、FMアコースティックスのFM268、FM811、FM711、FM610といくらかかってんのか計算できなくなる桁数だけどそれらで鳴らされるエレクトロボイスとJBLの主にホーン型合計8基によりなるスピーカーは、仕事で疲れて大音量でも眠れるようです。
Anamnesisにも関連する回帰性は形而上では重要な事項で、本当に回帰すれば神とかイデアとか言い出す始末。歴史に残っている哲学は、いまや論理武装の貢献もありスタンダードになってはいても、実は当時も変人扱いだったのです。ギリシアの理想範型である少年愛。プラトンに限定されたことじゃない、ソクラテスにもその傾向があったのですよ。
ある種の完成されたシステムによると胎内に包まれる。音のプールに泳げる。残念ながら自分は羊水の中で生活したことはないけどサウンドハウスのJBL S9800とかダイナミックオーディオのMcIntosh&JBL4328とかゴトウ無線ではDALIのTOWERが、あんなにも気持ちよく音が立っていたので印象に残ってる。心では低音を求めていつつもそれを避けるのは、セッティングの詰めが嫌になった経験からかもしれないが、ローエンドのシステムではその低音は「再生以前」になると思う。オーディオショウで耳にする低域には血の気が通っている。低域は感性以上に本能が求めていたものだと知る。帯域全体はユーフォニーのうちにあると魚が逃げる躍動すら質がよく、元気なうなぎほど掴みがたいというもの。TANNOYのCanterburyはずんずんと沈む低音こそ出ないが羊水のような低音であるし、デュアルコンセントリックによるソノリティ豊かな定位に包まれるとそこはかつて見たマデトヤの海の中、ccce








UNOの新型NANO
avantgarde NANO[受注生産]
希望小売価格 2,100,000円(税抜2,000,000円)/ペア

この紅いUNOはサクソフォンが生き物になって唄ってるみたいだった。
唇みたいだから。
メローイエローのような味のする缶ジュース「スゥィートキッス」の子どもの頃にあったCMを思い出した。








VRDS-NEOのメカニズムとタンノイのデュアルコンセントリック(同軸2WAY)
SPは右より、EYRISの蒼いウーファーはGlenairと似て紙系の触り心地で、
Sensisはメタルコーンでさらさらした触感、Autograph miniはなんだろ。
Canterburyの紫は、布の触り心地でした。
ついつい、勝手に触ってしまいました。











TANNOYの伝統について
ESOTERICはTANNOYにたいして、「アルニコのほうが従来より直線性に優れていて」などと提案をしてきたけれど、TANNOYは「うんそうだね」と笑っているだけだったらしい。市場ではカーボンがいいと言われればカーボンが、メタルが流行すればメタルが主流になる。でもTANNOYは「それならそうしましょう」などと言って往年から育んできた手法を腰軽に変えたりはしない。やると決めたらずっとそれを続ける。本当によいと思うひとつの方式を熟成させてきた裏付けのある自信と、流行り廃れに左右されない人間の感性への信頼が、80年という伝統を支えてきたのだった。デュアルコンセントリックの製法はとても大変なようで、「特性的に有利だからアイソレーションに」などと言ってもあちらを立てればこちらが立たずが音響の世界。メリットの裏にはデメリットもあり、デュアルコンセントリックの醸せるフルレンジなユーフォニーはTANNOYにしか出せてない。それで固定客がついてる。ESOTERICはTANNOYを通じて、機械は理論だけではない、オーディオってそういうものなんだということを学んだらしい。

TANNOYはYG Acousticsとは反対のスタンスになる。YG Acousticsのゴンツァロフスキーは「音を出すのではない。電気信号に変更を加えることなく、音圧を伴う音波に変換するだけ」と完全に左脳型。2004年に発売した初代機 Anat Reference Studioは脅威にも全くヴォイシングなしに作られたモデルらしいけど、Kipodで三浦さんが書いているように低域にすら付帯する音のない、トランジェント特性がジェットな、航空機グレードアルミニウムによる超高速無共振の凛とした美音につながるのはわかる。飛行機も仮説で飛んでいるのだから。一方TANNOYの場合、特にPrestigeの場合、そのバッフルの木質的な響きと箱の内容積を活かしてフルエンシーを醸成するという感覚的な手法をとっているので、フラクタルにも詩形は宇宙的になってしまう。定理はあまり意味しなくなる。ゆえに外に出てくる音(現象)を信じることが、ネフェルへの礎になる。hyvyys
ギリシア哲学にはムウシコス(mousikos)という語があるけどそれは「音楽の心得あるもの」、広くは「文芸の教養ある」の意ももっている。物理学が時間を止めているのなら、音楽はムーシケーで羽ばたく。現にプレステージの響きの長さはロートレアモン級の文節の長さを連想するし、Samuel Barberの弦の螺旋は天まで続くDNAのよう。偶有する音の多さもWestminsterでは音楽とか神話とかの成分になっている。科学の進歩がすぎるからいまや真理を述べるのは詩人のみになった。この世には論理の飛躍がジェットで意味不明なほど難解な、文芸ではそうするしか手段はないであろう散文詩が数多く存在するが、習字をやっている人は蒲団の中でも漢字ひらがなを描いてる習性があるからわかるだろう。それは崩れる・・・思いどおりの進路に筆が進まないのは半紙以上で。ミュトスにおいても同時にそれは、物理学では換言できないロゴスの苛立ちに基づいているものである。でなければ… かの呪われた詩人たちはそれを詩とは認めないことだろう。







懊悩の条件・・・文化のエロス、社会の未成熟、命にまつわるもの 等
懊悩のあるところに精神性が生まれる。そこに芸術があれば(芸術と懊悩は同質のものではないけれど)その芸術の深度よりは少なくとも深い懊悩が観測される。観測する達もいわば想像力。マーラーには死観がツァラトゥストラと舞姫には怨恨が。gall and wormwood。ダンテの地獄編に至れば三年前に歩いた路だった。そこに描かれてる一行一行が、逐次自分の過去に反照された。詩人がなにかを物語る時、そこには宇宙の難解な何かが秘められている。意味のある難易度には、詩を失えば容易には理解できないものだという物理が奏効している。我が考えを代弁してくれるかのようだったヘーゲル宗教論やがては次の論理学に対峙して挫く。本気で対峙する者ば、ムキーとか言うもなって然りで。宗教では霊感が発達する側面もあり、閾はうせる。それは好ましくも、代償として共通している過程は、模切型に相容れて哲学の発達にも音楽の発生にも遠くなってゆくこと。パラダイムに並置されることにより仲間が増えて安堵す。もはや読書という修行を積み、新しい思考に向かうことはないだろう。右往左往どこに行っても、それ以外の陰影を見ても、この世の人というのは正しいも誤りもないのが正解であることについて、どれが本当の説かを知りたがり、恣意的に選んだ定義を教条とせしめて以降、可能性を限定し過ぎゆっていく。異端を拒 貶め のけめ ぬためにはかの両方のすべてが必要不要なるだろうに。
・・・一方で懊悩は選民する。電波にうまれたるものは、カルミナブラーナを食みはうも可能だが、俗世に同化しうるなどとまでは思っている場合ではなからう(当たり前か。 『国家の品格』でも似たようなことを書かれていたが、"意志"は、レコードから選別すべきべきである。音楽性のないアカシックに共有されれば魂の固有の音楽を滅ぼされるから。コミュニケーション能力を誇る者に観測されるのは平均化した知性と逸脱者への憎しみ。浅薄な喜怒哀楽者が英会話セミナー用語をぺらぺらと喋りまくるほどに亡国を招いている。(そこまで書かれてはいない。
それにしても我こそはと物理を究めている賢い者ほど恣意的な宗教観しか述べられないのは不思議な現象です。頭でっかちで鼻息の荒い奴ほど全体が見えてない。木を見て森を見ずに突っ走る。知能の高い子どもは一言一言の言葉に重い傾向があるようだが論理的馬鹿は論理以外に本当に何も見えてないから困る。たとえば利他的遺伝子の実在の有無についても、ボランティアをして体の温まることは体が示す証拠であるのに論理的(種の保存の法則)に説明できないので反駁する。その対比を見てソクラテスは「自分は多くを知っていると思い込んでいる者より、知らないと思っている者のほうが、実は多くを知っているのだ。」というのである。よく出来た子どもが無口に何かを観察したり大切にしているのを見てそう思ったのだろう。

SPIの問題
洗脳されている者たちよ
「現実」の反意語を選びなさい
A:瞑想
B:幻想
C:夢想
D:仮想
E:理想

A. 科学は
なのでした

. : : :: ● : :: ._.
そもそも種の保存の法則で芸術は成り立つのだろうか?標題音楽なら恋愛を題材にしてるから種の法則の法則で片す事は出来るだろうが(論点先取で)、では絶対的な絶対音楽は?有名になり多くの精子を撒き散らす事が根本的な目標だとしたら、音楽本体は?どこいっちゃったの?― 技術は自然を模倣する。― この世の構造が科学が説くほどに簡単ではないことはそれに対峙している者たちほど痛感す。時空のないスケールの運動が解明できた暁には宇宙の数%もわかったと言えるのだろうか・・? 三日後の天気すらわからないのに。医学でも どう転ぶのかがわからないときには絶対安静という信仰の形態をとっている。でも超越したつもりが現実までもゆうに通り超えてしまったという自己矛盾のうちにある精神物理学脳となると、ヴィルジリオの教えと督励に心ゆだねなければ知り抜けすことのできないドグマの箱舟。その中にやすやすと今の人間たちを飼い馴らしている。気づかれることもなく。― そんなことより、みんな、夕日が歌っている。この地平線は、一体どこまで続いているんだろう・・・。「平均的な身長では5km先までです。」 ( ゚o゚) Die Ethik ist transzendental. 神も万象もウィトゲンで法則に挑んでいく姿は優れている。そのかわり付随する社会には、認知科学に精神が並置されているような白痴を量産されることとなった・・! (カナレでいいのに…





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