(撮影:Finepix F710) | FutoCanvasでオートレベル補正 |
AU-α907XRはバランス接続のほうがレンジが広くメリハリがあってクリアに広がるけど、アンバランスが悪くない。落ち着く音。ステレオからモノラル再生にしたときのようにこじんまりとはせず、音本体が本体となる感じ。ティアックのVRDS25xはバランス出力のほうが明快なので、907XRはVRDSのアンバランス接続では今ひとつハケが足りない気もする。だからなんかアンバランス出力のプレーヤーとは組み合わせたくなくなってしまった。ソニーのXA5ESと組み合わせると、パネルが同系色。 |
(撮影:DiMAGE A1) 1DINがこれの半分のサイズのやつ |
(撮影:DiMAGE Xt) 2DINは画面が大きくなれるのでかわいい |
DSP-P8フラッシュ | Nikon Coolpix8400のフラッシュ |
OLS EM8 ---- 最近スピード感溢れるメタルコーンのスピーカーが多くなってきた。EM8を比較すれば、エントリーMのほうが楽器の位置関係とかファンダメンタルな部分はしっかりしているだろう。でも全体的な音の量はこちらのほうが上。それ以上に魅力的なのは音色になる。ややハーシュで辛口な傾向ながら、このスピーカーのように上品な感触のメタルは珍しい。かつ、非常に活き活きしている。 分析的になりすぎても楽音に虚飾ではない彩りが抜けてしまう。ソース;プレーヤー;アンプ如何により、精確さに縛られて本来の気勢が出てこなくなるものも多い。僕は空気の読めない音でもどかーんと出てくるものが好き。 |
(DSC-P8) | (CAMEDIA C-40z) |
心理学では主に病気を扱う。心理学の定義によればあらゆる人間は少なからず病気である。しかし「ほとんどの人間はそのほとんどの領域において普通である」ことはあまり省みられない。思考の癖、軌道を逸した反応、苦しみ、そういう精神の特徴は簡単に言及できる。しかし普通であることの定義は難しい。「普通とは何か」を語ろうとすれば宗教になる。自然を自然と定義することは不可能なのである。 人間の視点とは特徴を見ており具体的に記憶するもので、淡い日常は日記に書いてあっても淡い状態では想起されない。抽象的思考はその場限りのネクタールで、その時間だからこそ抽象的に生きているものである。 言語にするのが難しいものは、記憶にも残らないのかもしれない。言葉はいつも淡い何かを消してしまう。しかし、それは淡い日常のようにたしかに存在していた。(そこでクオリアの存在を肯定するのなら、クオリアの種をまき実らせる努力をしようと思うのが普通だけど、精神を毀損しつづけた人はそこで機械化するしかない。) 山水のα907で2WAYは、音素の出が重苦しいときがある。#4343など大型フロア、infinityのKappa8.2i(4WAY)やATCぐらいに能率低いものになると間違いなく907だけど、EntrySやViennaAcousticのS-1なら707/607のほうがいいかもしれない。深度的に。mid-fiのアンプはユニットの重さ・マグネットの強さに対応できるドライブ力さえあれば、mid-fiのよさが出る。すなわち疲れない音。手に取れるリアリティ、南国の空のS/N、海の底を感じさせる低音などはないけど、なにか淡いよさ、居心地のよさがある。 普通な音・自然な音とは、大きい音から繊細な空気まで覆うキャパシティと、それを損なわずに通すシンプルさを兼ね合わせた機器から出てくるのかな。そして、それは人間がなかなか気づかないところで活きているのかもしれない。その他:i |
(DSC-P8) | (Nikon Coolpix8400) |
(DSC-P8) 3倍ズーム |
(KYOCERA Finecam S3R) |
ビリュシャナ仏 | 多聞天 |
(DSC-P8) 三千大千世界 哲学的で宇宙的な華厳宗 |
(KYOCERA S3R) 持国天とか不空羂索観音立像とか 超脱した立像が多い |
PERREAUX(プロー)/パワーアンプ 「PMF2350」 定価350000円 200W×200W 15kgほど 美品 完動品 電源ケーブルのみ付属 音質は、音楽を楽しませるシンプルな鳴り方。素性のよい楽音で、元気で色艶があり、バランスの悪い感じです。トーンとしてはAuraにも近い。こちらはオーロラ的に霞んだ色が移ろい移ろう。ぼんやりとした花野に、かまししや椋鳥やらが吹いて、おのずから心踊らむけん。そのうちに旅に出たくなり、このアンプを売ることにしました。 |