すずめの看病






手の中ではしばらく落ち着く。
でも仲間の声には反応する
落ち着かなくなる

はじめはあんなに鳴き喚いていたけど
観念して手乗りになってくれた






2006/07
猫がまたつかまえてきた。今回の雀はほどよく元気で始めは噛み付いてきた。すごいうるさかった。噛み付かれてもぜんぜん痛くないのがかわいかった。跳躍力は高さ20cmの段ボール箱がギリギリ出られないほど。明日には飛べるようになるかな。

庭にいくと遠くから聞こえる鳥の鳴き声に反応して興奮しだすので、何度か連れていった。その時だけ二度、高さ30cmぐらいある箱から脱出できた。そのまま放っておけば、ずっと向こうに向かって走り続ける。体力を消耗して休息し、そのまま永遠に眠る。そのほうが幸せだったかもしれないけど捕獲した。

鳥くさいので洗面で軽く洗った。するとやりすぎか弱った気がして、死ぬといけないから乾くまで手の中で眠らせていた。鳥は手の中が好きのようだ。

足は始め歪んでたけど、すぐに治った。今回は初めて指に乗っかるようになった。今度は指に乗せて庭の太陽に当たらせていた。仲間の声に反応して大きな声で鳴いていると猫が鳴き声に反応して寄ってきた。そのときの雀の首を伸ばした反応がおもしろかった。固唾を呑んでトサカが立っていた(下の写真)。

部屋に帰っても鳴き続けるので箱に蓋をした。仲間がいると思うとずっと呼び続ける。仲間のところが安心するんだろう。段ボールの中はやはり狭いから閉塞感があるのか、部屋に放し飼いすれば鳴き止む。ずっと出口を探して移動していた。

その次に太陽の光に当たらせにいったときは、余裕が出てきたのか、あるいはもう体力がなくて朦朧としているのか、猫を目の前に見せても見えてなくて、仲間のところへいくことしか頭になくずっと鳴いている。猫のほうも、僕が「来るな」と手で追い払おうとしても、目の前の雀のことしか見えていない。その無我の状態の猫も写真に収めたかった。

昼間にまた外の世界を見せていたら、鳴き声に気づいて仲間の雀が来て、うるさいぐらいに鳴き喚いてきた。"つくつく"言うのが仲間を呼ぶ合図かな。威嚇の際の”ビェービェー”いう声は、もう擦り切れてレーザーみたいな声になっていた。雀の仲間意識には強烈なものがあった。小さい動物ゆえに。この雀を段ボールに入れて庭に置いてみたけど警戒してか安易に近寄れない。10分くらい経過し、飽きたのか鳴き声もやんできて、仕方ないから取りに行くとちょうど猫が取りにきていて雀は”びゃーびゃー”言って飛び交った。この瞬間は複雑な様相で、雀は敵は猫なのか僕なのか区別つかないままにもう仲間は助からないというパニックで去る間に僕は猫を蹴ってどけると猫は地べたにゴロニャーというポーズで猫転がり、砂遊びをして、段ボールの中をみると雀は蒸し暑くてひからびそうなのだった。もう夏だった。口が乾ききっていた。鳴き声が聞こえなくなっていたと思ったら死ぬほど暑かったわけであった。ハァハァと必死な姿だった。それが目に焼き付いてる。家の中に戻り、箸で水をあげると食いつきがよかった。箸に伝わる口ばしの感触が愛おしかった。そのあと自分の部屋を猫が入れないよう密閉して外出した。










猫が目の前にいるとき









固唾をのむ雀。とさかが立っている。

こわいよう・・・









なにかの擬態だろうか
動かない、鳴けない










でもとさかが立ってる
むこうにはなにがあるんだろうねっ
僕も探してあげるね・・・っ












どうしても猫のほうが気になる










そろそろ疲れてる
はやくぅ・・・











もう体力が限界になってきた











キョロキョロと仲間を探すも
声を出して鳴くことはできない




















誰もいない。











やっと行ってくれた…













今回こそは飛べるようになるか、と思っていたけど、だめだった…。昼間は元気だったのに。箱の中ではバタバタいっていたけど、もがいていたのだった。一日中バタバタ外に出ようとしていたのかな。夜になるともう首の位置もままならなくなっていて、まるでくるくると回転するようで。足はまたゆがみ、羽に絡んだりしていた。手に取るともう綿のように頼りげない。喉が渇いてるだろうから箸で水をあげた。でも鼻から水が噴き出て、水の恐怖に苦しめただけだった。こういう場合はスプレーで湿らせるべきだったろうか。

昼にマキロンを買ってきて体に吹きかけておくべきだった。間接的にでもそうすれば細菌に汚染された苦しみは、やわらいだかもしれない。昼にライフガードを薄めたやつを飲ませておけばよかった。食塩水はよかったと思うけど、苦い緑茶を飲ませたのはいけなかったかもしれない。この鳥は、四六時中外に向かって鳴いていた。Victorの自然環境のCDを再生すれば安心できたろうか。そうすれば少しは体力を消耗せずに済んだかもしれない。

最期の方になると嘴を大きく開けて呼吸していた。首が猫に千切られてて頭が筋肉で支えられない状態だから、呼吸できなくて苦しくてバタバタと体勢を反る。どんどん体力は消耗してゆく。

一瞬小刻みな震えで足がまっすぐに伸びて、全身もまっすぐに伸ばされ、安らかに背伸びをするような姿勢を見せて、口パクがなくなったので、やっと元気になれるかな、苦しい状態から離れたのかな、という感じに、眼がゆっくりと閉じていった。やっと今日の恐怖を忘れて眠りについたのかな。と思ったけどそれが死んでゆくところだった。その飛びたつ姿が天使のようだった。きれいに真っすぐの姿勢で死んだ。死ぬということも胎内の一連の過程のように、遺伝子にインプットされているような感じだった。宗教における儀式の意味もわかる。ここで生き、子供を産んで子供は生きる。この生は伝えられるも、死ねば亡くなる感じがした。
死の瞬間を見たのは初めてだった。でも残念だった。思えばあのとき、やはり仲間のところに返せばよかったのかな。飛べずに途中のたれ死んだとしても一生懸命自分の向かいたい方に向かっていけた。ピーピー「外に連れてけ連れてけ」と言っていた。もう後の祭りだけど、夕方に掃除している間に、また猫に見つかってしまい、ビェービェー鳴いていた。猫に見つかった!という予感がして行ってみたけど、ちょうど段ボールの外に出されたところだった。もしも、あそこで捕まらなければまだ大丈夫だったろうか。かわいそうすぎる。

あの固唾の呑み方は忘れられない。嘴を大きく開けてハァハァとこっちを向いていた姿もかわいかった。仲間のところへ帰れず、最後まで苦しんでいてかわいそうだった。遊歩道のほうに埋めた。雀は7年も8年も生きられるのに、かわいそうだったなぁ。

猫が捕まえて来た雀はすべて夜には弱って死んでしまうので、どうやったら自然に還せるだろうと思って調べてみた。すると雀を無許可で保護すること自体が違法のようであった。自然にむやみに介入してはいけないという名目があった。保護名目で飼育する人もいるけど本当に自然に還すのが目的ならば人間の姿は見せないとのこと。この哲学は神が人に対する距離感にも似ている。猫に捕まって最後まで [猫 vs.雀] で必死なほうが、雀にとっては自然だったのかもしれない。とはいえ、手を加えるのならば、ミルワームを与えてくださいとのこと。ペットショップに売ってる。それをスポイトで親鳥みたいな動作をさせる。それなら食いついてきてくれるかな。







 お薬師様や神様が僕に教えたかったこと…


この雀のおかげで
すずめを間近で見るたびに愛おしく思えるようになった
それまではすずめなんてどこにでもいるただの鳥だった
信号待ちしているときに降りたつすずめ
みんなあのすずめと同じすずめなんだ
一匹一匹意識をもって生きている

生き物はみな、人間みたいに生きている
自由に淘汰してよいものではない
それを意図的に無視して
人間は環境を滅ぼして便利に生きている
最近では地鎮祭もしない
セメントの都会には"気"がない
それでは"霊性"など理解できないだろう
身の周りにそれが無ければ無いのが当たり前になってくる

この日までの2年間で7〜8匹の雀を猫が捕まえてきたのだけど
僕が家にいなくなったら不思議と捕まえて来なくなった
猫がご主人様にお供物としてすずめを捕まえてきたのだろうか
でも僕は猫に嫌われているためそれはないだろう
神棚やお寺の札に導かれたように思える







ポッチヤマ