今回こそは飛べるようになるか、と思っていたけど、だめだった…。昼間は元気だったのに。箱の中ではバタバタいっていたけど、もがいていたのだった。一日中バタバタ外に出ようとしていたのかな。夜になるともう首の位置もままならなくなっていて、まるでくるくると回転するようで。足はまたゆがみ、羽に絡んだりしていた。手に取るともう綿のように頼りげない。喉が渇いてるだろうから箸で水をあげた。でも鼻から水が噴き出て、水の恐怖に苦しめただけだった。こういう場合はスプレーで湿らせるべきだったろうか。 昼にマキロンを買ってきて体に吹きかけておくべきだった。間接的にでもそうすれば細菌に汚染された苦しみは、やわらいだかもしれない。昼にライフガードを薄めたやつを飲ませておけばよかった。食塩水はよかったと思うけど、苦い緑茶を飲ませたのはいけなかったかもしれない。この鳥は、四六時中外に向かって鳴いていた。Victorの自然環境のCDを再生すれば安心できたろうか。そうすれば少しは体力を消耗せずに済んだかもしれない。 最期の方になると嘴を大きく開けて呼吸していた。首が猫に千切られてて頭が筋肉で支えられない状態だから、呼吸できなくて苦しくてバタバタと体勢を反る。どんどん体力は消耗してゆく。 一瞬小刻みな震えで足がまっすぐに伸びて、全身もまっすぐに伸ばされ、安らかに背伸びをするような姿勢を見せて、口パクがなくなったので、やっと元気になれるかな、苦しい状態から離れたのかな、という感じに、眼がゆっくりと閉じていった。やっと今日の恐怖を忘れて眠りについたのかな。と思ったけどそれが死んでゆくところだった。その飛びたつ姿が天使のようだった。きれいに真っすぐの姿勢で死んだ。死ぬということも胎内の一連の過程のように、遺伝子にインプットされているような感じだった。宗教における儀式の意味もわかる。ここで生き、子供を産んで子供は生きる。この生は伝えられるも、死ねば亡くなる感じがした。 死の瞬間を見たのは初めてだった。でも残念だった。思えばあのとき、やはり仲間のところに返せばよかったのかな。飛べずに途中のたれ死んだとしても一生懸命自分の向かいたい方に向かっていけた。ピーピー「外に連れてけ連れてけ」と言っていた。もう後の祭りだけど、夕方に掃除している間に、また猫に見つかってしまい、ビェービェー鳴いていた。猫に見つかった!という予感がして行ってみたけど、ちょうど段ボールの外に出されたところだった。もしも、あそこで捕まらなければまだ大丈夫だったろうか。かわいそうすぎる。 あの固唾の呑み方は忘れられない。嘴を大きく開けてハァハァとこっちを向いていた姿もかわいかった。仲間のところへ帰れず、最後まで苦しんでいてかわいそうだった。遊歩道のほうに埋めた。雀は7年も8年も生きられるのに、かわいそうだったなぁ。 猫が捕まえて来た雀はすべて夜には弱って死んでしまうので、どうやったら自然に還せるだろうと思って調べてみた。すると雀を無許可で保護すること自体が違法のようであった。自然にむやみに介入してはいけないという名目があった。保護名目で飼育する人もいるけど本当に自然に還すのが目的ならば人間の姿は見せないとのこと。この哲学は神が人に対する距離感にも似ている。猫に捕まって最後まで [猫 vs.雀] で必死なほうが、雀にとっては自然だったのかもしれない。とはいえ、手を加えるのならば、ミルワームを与えてくださいとのこと。ペットショップに売ってる。それをスポイトで親鳥みたいな動作をさせる。それなら食いついてきてくれるかな。 |