諏訪湖をはさむ上社の本宮と前宮、下社の春宮と秋宮の四社を総称して諏訪大社といいます。本宮には建御名方神、前宮には八坂刀売神、また下社の二宮には両神がお祭りされています。 建御名方神は大国主神の子で、出雲国譲りのときに建甕槌神と力競べをして敗れ、諏訪の地に封じられたと伝わる神さまです。風や狩猟・農耕の神さまとして、また東国開拓の祖神としても信仰され、鎌倉時代には軍神として武家の崇祟を集め、全国各地に諏訪神社などの分社が建てられました。 |
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12月30日ともあって準備してる |
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鳥居 |
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御神木 |
ここのオーラすごくよかった。粗さやにごり感なしに均一に平滑化していた。すごい。厚みがある。B&Wて結構すばらしいんじゃないのかな。こんなにいい作用が大きく来たのは神社でははじめて。新ノーチラスやシグネチャみたいに平均化してたよ。ほとんど寝てなかったけど目が醒めた。 |
ホワイトバランス:オート | ホワイトバランス:晴れ |
口を清めるときが一番もわんもわんと気持ちがいい たしかに僕の言葉はよく汚れているね |
下社には、建御名方神(たけみなかたのかみ)と八坂刀売神(やさかとめのかみ)の両方が祀られている。 |
御柱 |
春宮では幼少の気分を思い出す 坂を登りたくなるし 神様こんなに楽しませてくれてありがとう生きていて楽しい |
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考えたときに沸くこの不思議さはなんだ。なぜ神社でだけは特別に霊気が作用するんだ。温泉のように地表に精粗がわき出ていて、霊感のある人がたがここは濃厚で質感もよい場だとして、ここに神社を作ったとか?。神社を作るとここに人々の祈りが集まるので心地よいのか。神話のほんわかした世界観がその精粗を彩るのか。国譲りで力負けしてるから、むしろ弱いものをかわいがる風潮が、このいたいけなオーラを生み出してるのか。 |
『先月のどうでもいいオカルト日記』 チャクラが次第に開いてきた。お寺では霊気の作用が気持ちいい。 プラシーボとかではなく、身体がずっと気持ちいい。霊性が落ちてるときを除いて毎回のことだし。他の寺でも味の違う作用がある。あるいはお寺ではご焼香がそんな作用になってるのかな。でもなら伊勢神宮で肌がすべすべになるのはなんでだろう。酸素が濃いから? まぁそれらは神気の通りをよくする一因はあるだろう。このまえお寺の大祭に連れていった友達は、ああいう場所は落ち着くとは言っていたけど、そういう感覚は感じてないようだった。みんな同じだと思ってた。信者の子にいうと「有馬君もそうなの!?私の場合はねぇ!☆以下略」と話にならない。まぁ人それぞれ来るものが違うって思えばいいか。 ∵西表から帰ってきたその友達とサーファーの弟がダイビングのことや海のことを話して意気投合していた。その話聞いててそろそろアウトドアに転向しようかと心躍らせていた。 (西表の奥地は地球じゃないみたいらしい。これ以上進むのが怖いらしい。変な新種の貝をおみやげに拾ってきてそれ異様だった。ある植物の花の中心部の小さな穴を連想してハス画像以来の衝撃だった。あとNIRAI KANAIの海洋調査の駒も見つけてきて、そこのHPにすごい?ってメール送った) だけど寺で知り合った女の子の親が創○学会だったみたいで、将来的に都合の悪い状況に陥ったとき、断る口実ができた。じゃなくて、なんか宗教に足ひっぱられる。下手に創○の霊性のこととか、相手は親子だから言ってはならないし。どうしたらいいんだろう。 「今日は友達と大祭いったよ。本堂気持ちよかった〜」とメールしたら、「有馬君に話そうか迷ったんだけど・・・。私さ、神社とかお寺に行くなって言われてるの。有馬君は知ってるかわかんないんだけど創○学会に入ってるんだ。私や弟は嫌々やらされてたんだけど。だから親には内緒でお寺に行ってたんだ。でもやっぱり心のどっかで迷いというか悪いことしてるような・・・ だからかな、この前お経が始まったら途中で後頭部がズキ〜ンと痛くてね、(私めったに頭痛くなることないんだけど)ずっと気持ち悪かったの・・・ だからなんかお寺に行くのがちょっと恐い・・・ でもお寺に来てる人みんないい人だしそういう人たちとお話するのは勉強になるし楽しいんだo(^-^)o 自分でもどうしたらいいのか正直にいうとわかんなくてね・・・」 母親はもうあきらめててうるさいことは言わないけれど、父親には色々言われるからそういうこと話さないらしい。自分には今悩みないのになんか創○のせいでパニクりそう。 って感じだったけど書いてるうちに考えまとまったのか、創○のことなんかどうでもよくなってしまった。人生の悩みから遠いって本当に馬鹿な証拠なんだらうか?まぁ信者は純粋だからいいや。デジカメもらったし。霊的にはなんとかうまく対応できたらいいと思う。お互いが活きるような。 Θあと金たまったらインド行くつもりだったのに、それ半年も前から言い続けてるのに、お寺のかわいがってくれるおばさんに「インドなんかに行かなくても、行動(文脈的にいって修養会とか寺の奉仕のこと)をしてれば答えは見つかるわよ」みたいなことをさわやかにあっさりと言われる。僕はかんながらなので別に答えなんて探してないし。なんかむかついたんだけどまったく悪意がないだけに苦しい…。観念学を嫌う風潮йを少し恨んだりもしたけどまぁ大祭のお説話中、本尊からの作用は絶え間無くて、思った。大半の信者は観念学のない純粋な人だから願望どおりに主観的に解釈するけど、仏からの本来の意識・その大本としては、僕がアウトドアに珍しく高揚しているように、細々と余計なこと考えないで行動をもっと増やせば充実するよというものだろう。だからインドには行く。友達と話していて東南アジアにしようかとも思ったけど。ラオスとかすごい田舎でインドよりさらに物価安いからすぐ行けそう。 (йチャクラ開くには素直さとか必要だと思うし、霊性の低いうちに観念学すると邪な見解に陥るので、それ自体は合理的かな。) と先月まではまだまだだからか、分析的に思考していた。 |
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友達と合流してまず昼を食べにきた 石の花 ランチ650円 |
JBLのスピーカーは健在だけど 前回来たときよりあっさりしてる もっとごみごみしてたような 本棚には戦時の教科書とかある たくさんの骨董品は健在 |
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寒くても清めること | 上に上り、中に祭殿 |
〔犬と人間、人間と神〕 出かけようとして外に出ると犬は散歩に連れてってくれると思い込み、跳ね回る。散歩に連れていってほしいから。 人間から見た神も同じで、人間は願いが叶うと神の計らいだとしたがるもの。 実際散歩に行くつもりで外に出ることも、7回に1回ぐらいはあるけれど、人間から見た神の計らいは、もっと正解率低いだろうな。 |
入り口からして油屋そのもの | 部屋 |
くされ神を千尋が洗い清め自転車とかペドロとか流され「極楽じゃ〜」と言いそのつぎの瞬間にわははははと飛び立った。湯婆は「くされ神じゃない。あれは高いところの神じゃ」と言うけどさすがジブリは神の概念をよくわかっている。千尋よくやったばんざ〜いと金をざっくざっく手に入れる。あの動画は気持ちよかったな。人間のゴミだめ場にも神は埋没しているのかな。神は純粋な意識体なので人間を恨むことがない。わははははと飛び立てる日はくるのかな。今はバブルスライム状の精霊もたくさんいそう。 子どもの神を見つける。わがままで善良な神の子ども。邪悪を纏った者がすがってしまい、今現在霊性落ち込んでいる神の子が、ぜったいいるから見つけだす。 |
この通路が絶妙におもしろかった 微妙に角度が斜めになってる 他にも斜めになってるところ多い |
微妙に斜めってるのだ |
千がかおなしに追いかけられて駆け下りる階段ね しかし朝は寒い… |
浪漫風呂は千がくされ神を洗ったところね。 あの動画はこちらも見ていて気持ちよかったね。 |
この電話も記憶にある |
積もってるよ… |
くぐり戸 こんな戸が用意されてたとは 夜も出入りできた |
駐車場 このあと大変だった 雪なんて経験ないから、どつぼに嵌ってしまった。 オートマは雪に嵌まる。マニュアルのほうがゆっくり加速するから嵌まらないらしい。 RXはマニュアルがあるのだから1速で加速すればあんなに苦労しなかったかも。 |
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やっと出れた 宿の人には感謝 でも湯をかけたりして結構楽しかったよ |
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車何度か降りて、頻繁にチェーンを締めなおした 走行中切れてバチバチはじいて車体に傷がいってしまった 雪のある4kmは相当長く感じた これで雪道には慣れたけどもういいや |
下諏訪へ戻る 諏訪大社春宮の辺 東京の町田を原付で廻っていたときを思い出す・・・ |
ふたたび春宮 |
僕からはマイナスイオンが出てるとか言われて 悦に入ってる場合じゃなかった。 ここは光。 全身が清清しくなる。 |
〔プラーナが及ぶのは半径2m程度〕 キルリアン写真を見るとコロナ放電が確認取れる。僕はなんかふわ〜んとマイナスイオンが発せられてるとか言われる。今まで神霊だと思っていたものの多くは、バイオプラズマとかマイナスイオン的なものなのか。丁重に祀ると、そこにあるバイオプラズマがマイナスイオンをどんどん帯びていき、神霊のように作用するから、人間は(まるで)神と呼んでるとか。植物も、きれいきれいと褒めればきれいになってゆき、罵りつづければ涸れる。それもマイナスイオンやプラスイオン的なものによる作用だとか。子どものころはアニメのキャラが、現実にいる/いないという有無の囚われなしに生きていた。いにしえの原始的な記憶を呼び覚ますからかもしれない、とか。宗教ごとにいろんな神とか精霊がいるけれど、あまたある魂にそれぞれ自分ら流に名付けをしているとか。あるいはこの外部からの作用という感覚自体も感情構築論的なもので、そもそもマイナスイオン云々というのも偶然だったのか。 という考えも一通り経て、初めは新鮮だった不思議な作用も当たり前の範疇の中に埋没していった。渋温泉のあの街も、当たり前のように、神様が生きていた。入り口の靴置き場には盗賊防止の御札が貼られていたし。 〔神はどこから来たのか・・・?〕 神は初めから沸いてるんじゃないでしょうか。温泉のように。だから知覚の出来る感性研ぎ澄まされた人が、ここは濃厚だ、ここがいいとか言って、神社の建設地を決めたとか。 |
〔性質に彩られる〕 日頃から祝詞を唱えていればチャクラ等が次第に覚醒してくるからそれと感応するのを感じるのか。あるいはそのうちに思念が清まり科簡が崇高になるので神のそれと感応するのか。より好み以前に意識体なので、磁力的に引き合うかのごとく。またここの神にまつわる解説により、ここへ意識が集約して偉大な無形生物になっているのか。高級な思念のみが磁力的に集まりこうなっているのだろうか。という分析自体が高級ではないので、せっかく感応できても次第に褪せてしまうけど。 |